「沈黙」(遠藤周作)雑感。

遠藤周作の「沈黙」を読み終えました。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)


けっこう前に映画化してましたよね。
その映画を観ようと思っていて、
その前の予習用に買っていたのですが、
開いてみてもなんだかうまいことチャンネルが合わず、
そうこうしてるうちに映画も終わってしまって
積読と化していた本でした。

最近開いてみたら、ちょうどチャンネルが合ってすいすい読めたので、
読み終えた雑感でも書こうかと思います。

遠藤周作、好きだったんですよね。
高校のときに「王妃・マリーアントワネット」という本を夢中になって読んで、
遠藤周作はそれ以来なんですが、なんで好きだったのか思い出した。
三人称で語られる淡々とした世界と、綿密に書き込まれた描写が好きで仕方なかったんですよね。

「沈黙」はキリスト教が日本で弾圧されていた時の話なんですが、
ひらたくいうと、ひとりの宣教師が踏み絵を踏むまでの話です。
ただそれだけの話を300ページくらい費やして書いちゃう。
ちなみに、宣教師が実際にその踏み絵を踏んだか、踏まなかったかというのは、ここでは伏せますね。
おたのしみに。
そこに至るまでの葛藤がすごく面白い。
「沈黙」というタイトルは、主人公ほか切支丹たちが弾圧されても
なぜ神様は沈黙したままなのか、という煩悶から来ているものです。
キリストは処刑される際、「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」(なんぞ我を見捨て給うや)と唱えます。
これは諸説では、単に処刑される際のお決まりの祈りの言葉とされていますが、
主人公はこんなふうに考えちゃう。
「本当に、神の沈黙への恐怖から出た言葉だったんじゃないだろうか」
キリスト教が弾圧されていた時代を元に描かれるキリスト教や宗教一般の切り口がすごく面白い。
面白い、というか、どちらかというと、痛い、ですね。
痛みは必然的に美しさへとつながる。
この小説のラストシーンが美しいんだ。
ああ、この言葉を書きたかったんだな、って。

いい小説でした。
商業小説ってどれもすごく面白いと思ってるんですが、
そのすごく面白いのなかでも、ものすごいレベルの差があるな、というのを感じる小説でした。
幽遊白書でいうと、商業作家は全てSクラスに分類してるけど、そのなかでも全然差があるみたいな。
もちろん遠藤周作「沈黙」は、そのなかでもトップレベルなのではないかな、と思います。
読めてよかった。映画も観てみたいです。