「夜が濃くなる」(豆塚エリ)雑感。

「プログラミングを突き詰めると詩になって、詩を突き詰めると小説になった」
先日、某所に僕のプロフィールを送ったとき、こんなふうに書いた。

突き詰めるというより、行き詰ったのかもしれない。
そう思うと前向きだったはずの言葉が180度変わっちゃって、やだな。

とにかく僕はいま、仕事でプログラミングをしてて、余暇には小説を読んだり書いたりしてる。
詩は、ほとんど触れてない。
僕にとって詩は、なんだか通過点みたいだと思ってた。

それが最近、僕は詩のことを思い出してしまう。
思い出してしまうどころか、未来に期待すらしてしまう。
あの頃は気づけなかった「詩の面白さ」に触れることが多くなった。
たとえば、豆塚エリさんの詩集。


豆塚エリさんに初めてお会いしたのは、昨年の文学フリマ大阪だったと思う。
豆塚エリさんがブースにいらっしゃったとき、オススメの本を訊かれて僕はこう答えた。
「男と男が愛し合う本と、女と女が愛し合う本があります」
なかなかに悪い第一印象を与えたことだろう。
まあ実際、このときはそういう本しか置いてなかったんだけど。
豆塚エリさんはすこし苦笑して、
「ふつうの本はありますか?」
と尋ねたのだった。
僕は悩んだ。悩んだ末、
「ふつうの本は、ありません……」
と答えた。

これが豆塚エリさんとの初対面だった。

なんだかんだで豆塚さんは僕の本を買ってくれて、僕も豆塚さんの本を買って、
その日は帰った。
豆塚さんの本を買ったことにたぶん大きな意味はなくて、
「表紙がきれいだから」「なんだか面白そうだから」とか
そんなものだったと思う。
それが詩集だということも、あまり意識してなかった、たぶん。

帰って、その詩集を開いて、けっこうびっくりしてしまった。
そこには、僕の知らなかった言葉とか、表現とか、世界とかがあった。
そうとしか表現できない。
ただ、なんだか「いいな」と思う。
詩には実際のところ、何かを動かすような力はない。
ただ「いいな」と思わせてくれる。それだけだ。
それだけの、とても尊い存在だ。
そんなことに気づかせてくれる、あの頃気づかなかった詩のよさを教えてくれる詩集だった。

最近、豆塚エリさんの「夜が濃くなる」という詩集を買った。
こっちは、もっとよかった。
濃い夜に落ちる眠りのように、世界に浸ることができる詩集だと思う。
世界。
豆塚さんの詩は、とても大きなものが、とても小さく書かれている。
ほとんど四角形に製本された詩集のかたちのように、
区切られた場所にどこまでも広がる世界だ。

開いて、決して読み終わることのない物語を読んでほしい。
朝なんて来ない。
この詩集を開いているかぎり、朝なんて来ない。
君の柔らかな体は
うそをつくことが得意だ
この一文がいちばん好き。

「夜が濃くなる」は、6/18まで大阪の西淀川で開催している
「カマタまで文学だらけ」でも取り扱っています。
よかったらぜひ、見ていってくださいね。