「夜が濃くなる」(豆塚エリ)雑感。
「プログラミングを突き詰めると詩になって、詩を突き詰めると小説になった」先日、某所に僕のプロフィールを送ったとき、こんなふうに書いた。
突き詰めるというより、行き詰ったのかもしれない。
そう思うと前向きだったはずの言葉が180度変わっちゃって、やだな。
とにかく僕はいま、仕事でプログラミングをしてて、余暇には小説を読んだり書いたりしてる。
詩は、ほとんど触れてない。
僕にとって詩は、なんだか通過点みたいだと思ってた。
それが最近、僕は詩のことを思い出してしまう。
思い出してしまうどころか、未来に期待すらしてしまう。
あの頃は気づけなかった「詩の面白さ」に触れることが多くなった。
たとえば、豆塚エリさんの詩集。
何処にも行けないような濃い夜に開いた黒く四角い窓のような、何処かへ繋がる詩集。詩とは、壁が扉であることに、黒が空白であることに、気づかせてくれるものなのかもしれない。
— にゃんしー@かまぶんあまぶん (@slymelogue) 2017年6月2日
「詩集「夜が濃くなる」」(豆塚エリ) https://t.co/30ckLriNN7 #かまぶん
豆塚エリさんに初めてお会いしたのは、昨年の文学フリマ大阪だったと思う。
豆塚エリさんがブースにいらっしゃったとき、オススメの本を訊かれて僕はこう答えた。
「男と男が愛し合う本と、女と女が愛し合う本があります」なかなかに悪い第一印象を与えたことだろう。
まあ実際、このときはそういう本しか置いてなかったんだけど。
豆塚エリさんはすこし苦笑して、
「ふつうの本はありますか?」と尋ねたのだった。
僕は悩んだ。悩んだ末、
「ふつうの本は、ありません……」と答えた。
これが豆塚エリさんとの初対面だった。
なんだかんだで豆塚さんは僕の本を買ってくれて、僕も豆塚さんの本を買って、
その日は帰った。
豆塚さんの本を買ったことにたぶん大きな意味はなくて、
「表紙がきれいだから」「なんだか面白そうだから」とか
そんなものだったと思う。
それが詩集だということも、あまり意識してなかった、たぶん。
帰って、その詩集を開いて、けっこうびっくりしてしまった。
そこには、僕の知らなかった言葉とか、表現とか、世界とかがあった。
そうとしか表現できない。
ただ、なんだか「いいな」と思う。
詩には実際のところ、何かを動かすような力はない。
ただ「いいな」と思わせてくれる。それだけだ。
それだけの、とても尊い存在だ。
そんなことに気づかせてくれる、あの頃気づかなかった詩のよさを教えてくれる詩集だった。
最近、豆塚エリさんの「夜が濃くなる」という詩集を買った。
こっちは、もっとよかった。
濃い夜に落ちる眠りのように、世界に浸ることができる詩集だと思う。
世界。
豆塚さんの詩は、とても大きなものが、とても小さく書かれている。
ほとんど四角形に製本された詩集のかたちのように、
区切られた場所にどこまでも広がる世界だ。
開いて、決して読み終わることのない物語を読んでほしい。
朝なんて来ない。
この詩集を開いているかぎり、朝なんて来ない。
君の柔らかな体はこの一文がいちばん好き。
うそをつくことが得意だ
「夜が濃くなる」は、6/18まで大阪の西淀川で開催している
「カマタまで文学だらけ」でも取り扱っています。
よかったらぜひ、見ていってくださいね。
「カマタまで文学だらけ」のサイトをオープンしました。出店者情報・書籍や雑貨情報などなど、これから更新していきますので、よろしくお願いいたします。#かまぶんhttps://t.co/8N4JQHZudz
— 尼崎文学だらけ (@amabun) 2017年3月19日