「夏火」(キリチヒロさん)読了

「読み終わる頃には真冬」
とか云ってたら、本当にこの週末は大寒波が訪れて、
暖房をつけても肌寒い部屋の中、琥珀色の紅茶をすすりながら読み終えました。

ちなみにこの言葉は「夏火」の後書きにキリさんが書いておられる
「書き上げる頃には真冬」を勝手に拝借しました。

ええとね、何から書こうかな。

ダイクストラアルゴリズム」をご存知ですか。
ある地点からある地点への最短距離を求める計算手法(=アルゴリズム)のうちのひとつ。
ダイクストラアルゴリズムで証明されたのは、
「その時点でいちばんいい選択肢を選べば、全体を通してみてもいちばんいい選択肢になっている」
というものでした。
(ものすごく乱暴な説明なので、計算機科学の先生には怒られるかもしれないけど)

実際にはそんなこと、ない。
短期的に見て最善の選択肢が、長期的に見ても最善の選択肢になるなんて有り得ない。
一時的には損をとったり、回り道をしたりして、
そうして選んだ道筋が結果的には最も効率のいい選択肢になっているというほうが
現実に即していると思う。

でも、奇跡みたいに時々ある。
自分の選びたい選択肢を選ぶだけで、導かれているように最短距離で到達点へ辿りつくことが。
それを成しえる能力を”才能”と呼ぶのだとしたら。

キリチヒロさんの前作「ミニチュアガーデン・イン・ブルー」は、私にはそういう作品であったように見えました。
作者としては違うのかもしれないけど。
選ぶ表現や並べる言葉、その媒体としての感覚、人物の表情、全てが最も自然体で、適切な場所に配置されたように見えた。
完成された”箱庭”だった。

「夏火」は、それとは違う印象を受けました。
「ぶっちぎりでこの「夏火」がいちばん(書いていて)辛かった」と
キリさんの後書きにあります。
前半、犬が死んでしまう場面や、智尋が陸と別れる場面など、表現にもどかしさを覚えている印象でした。
それは、男友達三人以外の新しい世界が広がったり、三人を支えた犬がいなくなったりして、
”箱庭”が解体された後の世界をどうにかもがこうとする彼らの息苦しさとも相似しました。

「夏火」の根底にあったのは、つまり彼らの苦しさの根底にあったのは、早苗の希死だったと思う。
「そういう思いのことを、もしかしたら、寂しいと言うのかもしれない」(p147)
これは智尋の言葉なんだけど、早苗の言葉にも聞こえた。
物語の中には至るところに早苗がいて、陸も、智尋も、血の中にいるはずの彼女と分かり合えないでいた。
それは死ぬことと折り合いがつけられないということでもある。

表現にもどかしさを感じる、と前述しました。
でも、台風の日、陸と先生がある行いをする場面から、
そのもどかしさが消えた。
収束地点に向かって火が燃え盛るように筆致が熱を持ち始めた。
陸と、智尋が物語を通じて苦しんだはずの早苗や希死に
「だからお前も、勝手に生きりゃいいんだよ。あんま考えすぎんと、しれっと」
と言ってのける椎名は本当にすごいと思う。
(この前に彼が喋る言葉がもっとすごいんだけど、省略します)
椎名の言葉が、灰色の町に射す光のようだった。

2016年1月23日、いま午後4時ちょうど。
訪れた寒波は、物語の舞台である北陸の町を白く染めたのだろうか。
椎名の言葉みたいに、黄金色の光が雪の町に暮らす人々を
あたたかく包みますように。