体験と小説の間の距離

今からいろいろと作業するんですけど、
その前に最近考えたことをメモ。

実体験を小説に起こすタイプの作家がいるか、
あるいは創作の上で、そういう手法を取ることがあると思うんですけど、
それについての記録。

ツイッターでこういうふうに書いたんですけど。

「そうではないよな」と思ったので、改めて記録。
やっぱりツイッターみたいな即時性ツールで、込み入った内容を書いたら駄目だね。
(ツイートを消しちゃうのも何なので、消さないけど)

正直に書くと、
実体験を起こした小説を読むと、すごく心が沈むのね。

そういうことが何度かあって、「なんなんだろあの現象」と思ってたんだけど、
そうなるときの共通点として「好きな作家」であることが挙げられる。
どの作家についても、同じように感じるということではない。

ツイートだと、作家の技術の問題みたいに書いてしまってるけど、
そうじゃなくて、読み手側、つまり私の受け取り方の問題なんだと思います。

それはたぶん、その作家の、作中の平行世界ではない実世界において、
起こっていることへの距離に対する、「寂しさ」であったり「嫉妬」であったり
するんだろう。

なんとなーく、そんな感じ、であって、実際のところよく分からないんだけど……
まあとりあえず、私はダサいな、すごくダサい。
何より、自分の問題を作家の問題に転嫁したのが果てしなくダサすぎる。

まあでも、ちゃんと認識しておかないともっとダサいと思うので、
とにかく自分メモとして記しておく次第。