さくらももこのこと。

大好きな本を買いました。

子どもの頃、たまーにゲームを買って、帰る道すがら、
すっごくわくわくしたのを覚えてる。
早く開けたくて、やりたくて仕方なくって、
息せき切って走って家に着いて、オカンの「ごはんよー」の声も無視して、
パッケージ開けたら、とりあえず説明書読んだりするよね。

最近ツイッターで、「ゲームをして育った子どものほうが想像力が豊か」ていうの見たけど、
逆だと思うよ。
やっぱりそういうのしなかった子どものほうが、自分でいろいろ作ると思うよ。
「ゲームは役立つか」うんぬんみたいな90年代にやり尽された質問がいま
あの頃とは真逆のベクトルでもって回答されるのが、なんか移り行く世を感じますよね。
もし当時と同じ文言を用いるなら、「役立たないのがいい」んですよ。


さくらももこは、僕にとってそういう作家でね。
とにかく、大好きだった。
一番好きな作家を聞かれたら、さくらももことは絶対に答えないんだけど、
それは自分の中で別枠だからです。
さくらももこさくらももこであって、比較対象ではありえない。


会社で食べるあさごはん買うためにコンビニ入ったら、
こんな本置いてあって「うわーっ!」て思って。
ろくに中国語も読めないのに、なんか買ってしまいました。

うちは3人きょうだいで、上に姉と、下に妹がいます。
当然のように、毎月最新号の「りぼん」が家にあって、
子どもの頃からそれを読んで育ちました。
(姉と妹は僕が買う「ジャンプ」を読みませんでしたね。なんでやろ?)

当時の「りぼん」といえば、まあ分かる人がいるんか知らないけど
姫ちゃんのリボン」「ときめきトゥナイト」「子どものおもちゃ」「神風怪盗ジャンヌ」「へそで茶をわかす」
なんかもう時期バラバラですけど、なんせ面白い漫画が多かったです。
ちなみに少女漫画って、9割以上のネタが「恋愛」ですよね。
子どもの頃からあれが不思議で、今でもよくわかりません。

そんな中で、僕が一番楽しみにしていたのが「ちびまる子ちゃん」。
初登場の号から読んでたと思うんですけど、すっごく衝撃だったのを覚えてる。
なんやこれ、めっちゃおもろいやんけ、て。

昔からずっとそうなんだけど、すごいお話って別に読みたくないんです。
普通の話でいい。何も起こらなくていい。
それなのに、ほんのちょっとだけど、何か大切なことに気付くような、
そんなお話がいいんです。
感動なんてしなくていい。役立たなくていい。

僕が暮らした、何もない田舎の町がそうさせたのかもしれない。
夜に電気をつけてたら裏山からでっかい虫が窓ガラス目がけて特攻かけてきたり、
クーラーないから網戸にしてたら、いつのまにか羽虫が白いシーツを埋めてたり、
そんな四畳半の小さな部屋の中で、わくわくしながら読んだのが「ちびまる子ちゃん」でした。

打ち切りではないと思うけど、終わったときのことも覚えてる。
今思い出しても、ちょっとあり得ない終わり方ですよね。
あんな漫画の最終回、見たことない。
そんな力の抜けたところが、さくらももこらしいや、と今だからこそ言えるんだけど、
当時はものすっごく寂しくなってしまって、いつの間にか「りぼん」も読まなくなって、
気づいたら姉も妹も、「りぼん」を買うのをやめてました。
姉と妹は、特に「ちびまる子ちゃん」好きではなかったと思うけどね。

当然、あの頃出てたエッセイも読んでて、「たいのおかしら」はその中でも最初に買ったやつで、
あの作品を読んだことは、自分の中での読書の原始体験だったと思ってる。
「文字を読む」ということが、初めて愉しく感じられた。


悲しいくらい周りにさくらももこファンがいなくて、
こういう話も出来ないし、ブログに書いたところで「なにいってだコイツ」て思われて
終わりだと思うんですけど、別にいいんです。
ただ好きなだけやし。

さくらももこの作品に会ったことで、人生が変わってはないし、これからも変わることはないと思うけど、
でもやっぱりほんのちょっと、ちょっとだけだけど、
さくらももこに会わなかった自分より、今の自分が誇らしく思えるような気がします。