夢見心地のままでは夢は掴めない

お笑いコンビ・ピースの又吉さんが書いた「火花」を読みました。
芥川賞候補にもなっている話題作ですね。

火花

火花



アマゾンのレビューを見ると、散々ですね。
星1つの嵐。

今回はそのレビューを振り返ってみようと思います。
自分の勉強が9割。

人間の奥底にある取るに足らない問題がテーマとなっており、純文学らしい。
全ての人物の陰と陽が細かく書き込まれ、人間の生臭さが感じられる。
これはプラスのレビュー。
上位に表示されている中では唯一といってもいいプラスのレビュー(といいつつ星は5つ中の3)ですけど、
いまのトップレビューになっています。

純文学の根幹を指摘したものとして、分かりやすい。
最近も某人が「人間を描くのが純文学」とおっしゃっていて、
それにも繋がる頷けるところ。

人間がちっとも魅力的ではない。
人は薄っぺらいように見えても、
頭や心の中ではめちゃめちゃいろいろ考えてる。
それを言葉や文章にして、理解や共感を得るのが文学
先ほどのレビューとは真逆の、しかし高評価を得ていたレビュー。
人間が描けていませんよ、と。
どんなに軽薄そうに見える人間にも
もしかすると本人にも意識できていないかもしれない深みがあって
それを描写するのが文学だとすれば、
優れた文学は誰の人生にも光をもたらすものかもしれませんね。
そんな大仰なものではないでしょうけど。

しかし人の深みとはつまり何でしょうね。
多くの人間と密接に触れてきた人間がそれを描けるわけでもないでしょうし。
想像力と、自分と向き合うことではないかな、とは思います、今のところ。

簡単な言葉・文章で書けるはずなのに
背伸びした純文学調の文体を狙いすぎて、上滑りしている。
それは純文学のように見えても内実を欠いた紛い物で、
純文学をてらった衒文学と呼ぶべきもの。
もっと自然に書いたらいい。
衒文学(げんぶんがく)という言葉でググってみたのですが、ヒットしませんね。
レビュアーの造語だろうか、女衒の衒だと思いますが。
女衒は女性を遊女屋に売る職業のことですけど、「純文学を投げ売っている」という意味だろうか。

衒文学という言葉の意味はさておき、意図が伝わります。
「純文学はこう書かないといけないのかな」という意識は僕にもあって
賞に応募する原稿は特に妙に難解な文章・文体を使いがちなので、耳が痛いところ。
どちらかというと大衆小説側の読者の意見のような気も若干しますけどね、
純文学の肝は、美しい文体だと思うので、
簡単に直したものを純文学と呼べるのかというとどうだろうか。

とにかく純文学というジャンルはさて置いて純粋に文学として考えれば、
簡単に書いたほうがいいのではと思います。
まったく同じことを意図するのであれば、よりシンプルであるほうが本質的です。
詩人のギンズバーグも「みんなお喋りするときのように、プレゼンや朗読でももっと普通に喋ったら面白いのに」と云ってましたし、
自然である、ということは、より人間の根幹に近い、ということで、
結果的には純文学のまた別の肝である「人間を描く」ということに近づくのだと。

追記:「衒文学」(げんぶんがく)という言葉はどうやら「衒学」から来ているようですね。
知識をひけらかすこと。

山場や抑揚がなくて読んでいて苦痛。
これも大衆小説側の読者の意見ではないだろうか。
しかし「読者はこうあるべきだ」とは求めるものではないので、
もちろんこれも有益なレビュー。
純文学だろうと何文学だろうと、退屈させない工夫は必要ですよね。
「売れる奴は賢くてサービス精神のある奴だ」とは同じくお笑いを扱った作品「べしゃり暮らし」に登場する文言。

三島や太宰に憧れて、頑張って心の闇を出そうとしているけれど。
「何かに憧れて書いている人は作家に向いてない。オリジナルを決して越えることができない、模倣で終わる」と聞いたことがあります。
夢見心地のままでは夢は掴めない。


以上です。
結構こうして、作品を読んで、それから他のひとのレビューを読むのは楽しいですね。参考になるし。
みんな賢いし、よく読んでるな、と思います。その集合知にあやかりたいところ。
批判や非難を厭わない、歯に衣着せぬ本当の言葉ばかりで勉強になります。
あんまり売れてない作品でそれやっちゃ駄目なんだろうけどね、宣伝に干渉するし、
人の好みはそれぞれなのに、本来その本を手にすべき人間が忌避して機会を失うから。
またこうして、ベストセラーを読んで、レビューと自分の感想を比較しようと思いました。


最後に「火花」に対する個人の感想ですけど、
言い回しがいちいち怠い上に特に内容もなく、
いうなれば「苦労するわりに得るものが少ない」
マイナスばかりがどんどん溜まっていって、読んでいて苦痛でした。
「!」となる瞬間があるにせよ、少なすぎる。
まあ後半からは多少起伏がありましたけど、
一番これは駄目だな、と思ったのは、この小説を読んで自分の中で何も変わらなかった。
それって、読まなかったのと同じことなんですよね。
強いていえば、「やっぱ読まなくてよかったな」と認定して、過去はあった分岐を選択肢から外す意味はありましたが。

小説って、それを読む前後で、読者の中で何かが変わらないといけないと思うんです。
いうなれば「小説を読むこと」自体が「小説」になるような、そんな力のある作品がいい小説なのではないでしょうか。
それは最近僕が書く際に意識していることで、できればそういう小説を世に出したいと思っています。

最後に辛辣な感想を書いてもて、実際のところ又吉さんより僕のほうが全然下手ですけど、
同じ人間、それは恥じることでも謝ることでも恐縮することでもなんでもないと思うので、
素直な感想として残しておきます。