夏、小説、文学賞

夏になると、夏についての小説を書きたくなりますね。

子どもの頃は夏が嫌いで仕方なかったんですけど、
いまは大好きです。
「海」とか「野球」といった夏のモチーフを
小説にも多用します。
あのころ夏が嫌いだったぶん、取り返したいと思っているのかもしれません。

ある文学賞に応募する小説の初稿が、先日上がりました。
ありがたいことに下読みしてくださる方が見つかりまして
さっそく感想を頂きました。

細かいところもいろいろ見て頂いたんですけど、
全体的なところで大切にしたいなと思った事柄が
「小説を書くときは偏愛的であれ」みたいな言葉。
いいなー、と思いました。

当然のことかもしれないけど、
小説って最初に描きたい対象があると思うんです。
それも、描きたくて描きたくてどうしようもない、
それを描いているだけで人生幸せ、みたいな
全てに優先して偏愛的になれる対象が。

その対象を「もうこれ以上は描けない」というくらい
とことんまで細かく描き切る。
その作業こそ「小説を書くということ」で、
それが出来る人こそ「作家」なんじゃないかって。
狂ってますよね、ある意味。享楽的という意味です。

でもその偏愛は、決して自己愛じゃない。
間違いなく読者が意識されている。
描きたい対象って、読者がいて、それに宛てられて初めて
立体的になると思うんです。
それも、今回「読者」目線での飾りのない感想を頂いて気づいた点です。
小説で作り上げる世界というのは、作者だけで完成させることはできなくて、
読者との共同作業なんですよね。

その意味では、自己愛は世界を完成させる上でのノイズになるかもしれないですね。

他にもいろいろと考えさせてもらったんですけど、
それは小説を完成させる中で追っていこうと思います。
感謝は言葉ではなく行動のことだと思うので、
本当にいい作品を、今回下読みしてくださった方にも、他の読者の方にも、
楽しんでもらえるよう頑張ります。

こうして作品を交わすというのは何だか楽しいですね。
感想が届いてメールを開く瞬間のドキドキとかも。
作者の立場としても、読者の立場としても、またこういうのをやりたいですね。