「嫌い」をレビューするということ

レビューに関して梅林らんさんが書かれた記事がよかったです。
http://blog.livedoor.jp/kazaguruma_s/archives/1015952033.html

私はこの方はツイッターでフォローさせて頂いてるだけなのですが、
(黒田についてツイートしてたような……カープファンか?クソッ!)
この記事の姿勢に、俄然興味を持ちました。
キンドルを買わせていただかねば。

「レビューにはいいことしか書いてはいけない」みたいな風潮があって
それを自身に約束事として課す分には個人の自由なんですが、
それを全体の空気として「読めよ」と言わんばかりのムードを感じると
ちょっと息苦しいですね。

「嫌い」がないなら「好き」もないのと同様。
「好き」があるなら「嫌い」もその影として存在するはず。
それを口に出せないとしたら、それこそ"ポイズン"ですよ。

普段からスキスキいうてる人に「好き」って言われてもうれしくないでしょう。
普段からスキスキいうてる人はオタサーの姫みたいだ。
やさしいようで、中身がない。
傷のなめ合いは内輪盛り上がりにしか成らない。

普段、毒舌吐いてるひとの「好き」こそ、尊いですよね。

「嫌い」て書いてもいいと思います。
たとえ内容がないレビューだとしても、それでいい。
本をほとんど読んでなくても、書いていい。
「ラーメンがまずくて食えんかった」は立派なレビューですよ。

ただ、忘れてはならないのは、
表現の自由」は、「表現の場には必ず2人以上いる」という側面があるということ。
そして、相手も同じように「表現の自由」を持っているということ。
それを甘んじて受ける勇気と覚悟が必要ということ。

そう考えると、「嫌い」て書くのは「好き」て書くよりよっぽどパワーがいることで、
敢えてそれを書いてくれる人というのはとても貴重では、と思います。

僕はレビューに「好き」しか書けません。
勇気と覚悟がないからです。甘っちょろいのです。
文章に対して持つ意識が低いのでしょう。
というより、そんなに文学を愛してないんでしょうね。

もっと文学を好きになれば、「嫌い」も書けるようになると思います。
そうなれたらいいな、と思います。

「嫌い」を表明できる全てのレビュアーに敬意を評して。