あそぶんがく

今日は所用で早く帰ってきたので
文學界がたくさん読めそうです。

そいえば、最近面白い記事みつけたよー。

文章を書くという仕事は、ゼロを1にする作業だと思われがちだ。
しかし実際には、文章を書くというのは100を1にする作業だ。

文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい
http://www.huffingtonpost.jp/rootport/post_5947_b_4139629.html?utm_hp_ref=tw
文芸系以外のひとにとっても、得るものがあるんじゃないですかね。

正しいと思うし、役立つと思うんですが、
その一方で反論したい自分がいますね。

僕はあくまで
「文章を書くというのは、ゼロを1にする作業」
だと思いたいんですよ。

「えっなにこれ」
「これどこからきたん」
「すごいへん」

そういうわけわからない「?」と出会いたいんです。
書く側としても、読む側としてもね。

だから知識を多く得るということを
文章を書くための「パズルのピースのうちの1つ」としては認めても、
「パズルのラストピース」としては
そうじゃない、と思う。

24x365という平等な時間が与えられている以上、
全てのひとが持っている知識は平等なはずですしね。
理論的にいえば、生年月日が同じなら完全に平等。
あとはそれを生かせるかどうか。
それを生かすのは「経験」なんかじゃなくて
「どれだけ書いたか」だと思いますね。
書くことによって、知識は初めて知恵に変わるのだと。

要は、たくさん書きましょう、と。

先日、編集に出していた原稿が戻ってきました。
駄目だしの嵐でしたね。
ララパルーザ戦の千堂みたいにグロッキーなりましたよ(わからない!)
いろいろ駄目だしを受けましたが、
一言でいえば「やおい」ということでした。

やおい」。
「やまなし、おちなし、いみなし」の略ですね。
死語となって久しいですが、これほど同人誌を言い当てた言葉もないのでは。
まあ概ね予想通りの駄目だしだったので、しっかり洗練させていこうと思います。

しかしこれだけ駄目だししてもらえる環境というのもありがたいことです。
僕も昔はよく言ってましたが、最近はごく身近な相手にしか言わなくなりました。
怖いんでしょうね、嫌われるのが。
守りに入ってるなあ、と思います。

そういうことを言い合える相手を増やせたらな、と思います。

あ、「賞に出す原稿を読んでほしい」というのがもしあったら
遠慮なく言ってくださいね。
そういう目標がはっきりしてるようなのはがっつり駄目だしします。
逆に、僕の原稿を読んでくれる方も歓迎です。