僕は、会社の、

人形じゃないんだ〜

といって椅子から後ろ向きに倒れこむ。

家なき子」の真似ですこんばんは!
といっても最近の子にはわからんかも(ry
あのドラマでは尾上が好きでした。

とりゃーえず最近会社が忙しいです。
ので日記のタイトルのセリフ。
うまくいくときには全てがうまくいくもんなんで、
ちょっきし気合いれて、会社もしっかり回したいところ。


さて、先日「クリエイティブの可能性」という授業の交流会に参加してきたわけです。
ゆーたら抽象的な授業名、何してるのかよくわからんかったんですが、
聞くところによると「広告」という切り口から勉強するそうでした。

む、なんだか違和感。

広告というのは言うまでもなく、モノを売るための媒体です。
なるべく馴染みやすい体裁で、できるだけ多くのひとの心を掴む。
新しすぎてはいけません。
いまあるものより、ちょこっと新しいのがいいそうです。
「あるある感」という言葉が分かりやすいですか。
結果、往々にして「模倣」という手が使われるそうです。
あんまり好きには作れないらしい。

一方で創造(=クリエイト)には、そんな制約はありません。
というより制約に囚われると、良さがスポイルされることが多い。
自分の価値観を信じて、好きに作る。
新しすぎるのも大いに結構。

こうして並べてみると、「広告」と「創造」というものは
つまり全く対極に来るのではないか。
「広告」はあくまでプロデュースでしかなく、
クリエイティブには到底なりえないのではと。

ではその授業に意味はないのか。

「創造」というものは、0から1を作りだすものです。(*1
「広告」というのは、1を100にするもの。
「創造」と「広告」が出会ったとき、0から100を作り出せるんじゃないかって。
それこそが「クリエイティブの可能性」なんじゃないかって。

思ったんですが、そんな授業なのかどうかは分からないです-3
また機会あったら行ってみよーっと。


車の納車がG.W.に間に合わないみたいです。
家で作品作りでもしてますかな。あと路上ライブ。
車が来たら行きたい場所がいっぱいあります。
淡路島、小豆島、対馬隠岐・・島ばっかじゃん(00;

町も巡って路上ライブもいっぱいしたいです。
湯さんは写真センスがよいので、いろんな場所の写真とってもらおー。
たのしみ。


(*1:「完全に0から1を作り出すことはできず、
全ての創造物は模倣に過ぎないのではないか」という意見もあるかと思いますが、
「このひとにしか表現できないもの」ていうのは確かにあって
そういうものは、0から1を作れたと云っていいと思います。