「ひとなつ」(みなもとはなえ)感想
台湾は今、台風が上陸していて、
12階の白い格子付窓向こうに見える裏手の山は
木々の軋む音が響くほどに激しく揺さぶられている。
死者も出たとニュースで報道されたのを見た。
少なくとも家の中にいる内は、買い置きさえ備えていれば、
運が悪いと停電するかもしれない程度の不便しかない。
僕がまだ子どもで山口県に住んでいた頃、
台風19号という、まあ歴史には残らないだろうけれど
個人の記憶に残す限りは忘れられない台風があった。
といってもそれによって誰かが死んだとか、大切なものを失ったとか、
悲劇的な思い出はまるで無くて、
思い出されるのは高校の崩れた体育倉庫の前で記念撮影をしたりとか、
電信柱が軒並みなぎ倒されている国道を徐行で観光したりとか、
なんだか長閑で愉快な記憶ばかりだった。
「田舎」という言葉から連想する時、必然的に僕は生まれ育った山口県を思い出す。
薪割りをくべる五右衛門風呂で、下水道は無くて生活用水は溝に垂れ流しで、
汲み取り式の便所の蓋を開けば黒い穴からは酸い匂いとコオオという風の音がして、
夜には虫たちが窓ガラスに体当たりする音がリズムよく響いて、
天井裏には大人しか知らない神棚が隠れていて。
悲しいことは何ひとつないように思えていた。
しかしそれは恐らく自分がその中にいたから分からなかっただけで、
もし外部からの闖入者(田舎はどうしてもその語を選ぶことになる)の視線から見れば、
きっと異常だったり、乱暴だったり、狂気じみていたりするんだろう。
大学で京都に出て、就職で大阪に住み始めた僕は、というより僕たちは、
田舎出身だと隠すことを覚えたし、その必要性を理解した。
信じられないかもしれないけど、「身体障碍者を嘲笑する」文化があの田舎にはあった。
同じように、あの田舎以外の文脈では受け入れられないあれこれを、
僕たちは捨てた。
「ひとなつ」は、みなもとはなえさんによって書かれた、17000字程度の短編で、
こちらで公開されています。
https://note.mu/losmrn/n/ne6e4661121d4
堕胎した女性が、田舎である夏を過ごす話。
祖母がその地の大地主(僕たちの田舎ではそれをシサンカと呼んだ)で、
貸土地に結び付いた権力によって、閉鎖された地の話。
物語には、大きく分けて3種類の人間が登場する。
「フユ」という名前を与えられ、都会から田舎に「逃げて」きた女性、
「ナツ」という名前を与えられ、田舎から都会に「逃げたい」と思う少年、
そしてそれ以外の、その田舎に土着した人々。
僕はどうしてもこれを「ナツ」の視点で読んでしまうし、
(おそらく)外部からこの物語を描いたのであろう作者を「フユ」の立場に宛てて読んでしまう。
物語の中盤最後、「ナツ」と「フユ」の、
掴まえきれない幼稚さと、全て理解していたかもしれない聡明さと、
その間でそうするしかなかったやるせなさに感応して、悲しくなってしまう。
田舎には、悲しいという感情はなかったと思う。
ナツは多分フユに会わなければ、悲しいという感情を知らなかったと思う。
フユは最後、ナツに対して「慈愛を与えられればよかった」と後悔を残すのだけど、
ナツがフユに対して持っていた感情は「恋」だった、はずだ。
フユが正確な意味でそれを理解することはない、と少なくともナツはそう思っている。
だからナツが田舎を離れたのは、彼の中である程度割り切れたのではないだろうか。
子どもの頃は、フユがないと思っていた。
今はそれがあることを知っている。
どうしようもないことがあると知っている。
正確には、この小説を読んで、それを実感した。
田舎に生まれ育った、田舎と夏が大好きだった元・少年は
そう読んだという感想です。